歴史

いずしの歴史

ルーツは東南アジア、「純粋な和食ではありません」

いずしは、現代の一般的な江戸前寿司「握り寿し」の原型であり、典型的な「和食」のイメージが強いと思われていますが、実はそのルーツは古く、紀元前の東南アジアと言われています。
ベトナム、カンボジア、ミャンマーの国境地帯、いわゆるインドシナ半島は古くから、米などの世界的な穀倉地帯です。冷蔵庫がない時代、メコン川などで獲れた魚を、その米を使って発酵させる保存食として生まれ、それが北上して中国に伝わり、朝鮮半島を経て三世紀頃、卑弥呼の時代の日本に伝わったと言われています。
奈良時代以前の正倉院文書や、平城京跡出土木簡には「鮨」の文字が書かれていることから、日本の文字記録が始まったころには既に寿しがあり、寿司研究の先駆的研究者の篠田統氏(故人)は、「日本には稲作とともに日本に伝わった」という学説を残しています。
それ位、古い歴史があることは確かです。

今でも、タイや、ラオス、カンボジア、ミャンマー、インドネシアなどでは、呼び名は違いますが、いずしの原型とも言われる「馴れ寿し」は親しまれています。
また、韓国の日本海側では、日本の馴れずしに似た発酵食品で、「シッケ」と呼ばれる馴れずしが今でも作られ、親しまれており、大陸伝いに日本の日本海側に伝わっていったことが伺われます。
日本に伝来した、これら大陸生まれのお寿司の原型である馴れずしは、独自の進化を遂げ、滋賀県の「ふなずし」、石川県の「かぶらずし」や、富山県の「ます寿司」、秋田県の「ハタハタずし」、青森県津軽地方の「鮭ずし」など、日本海沿岸では現代でも知られる地元の名産品となっている、馴れずしの文化が残っていて、これらのことからいずしは「環日本海食文化」とも呼ばれています。

その他にも、東北地方から北陸、長野から静岡、三重、和歌山、さらには中国地方や四国、九州の山岳地帯でも馴れずしの記録が残っており、今でもその名残が親しまれている地域もあるほどですが、残念ながらその殆どが衰退の一途をたどり、歴史の中に埋もれてしまっています。
その中でも、15世紀頃、室町時代に北海道に渡って来て、独自の発達を遂げてきた「飯寿し」(いずしは、異端的な存在として研究者の間でも注目を集めて来ました。
先述した通り、魚と米や野菜などで漬け込み発酵させて作る馴れずしの文化は、北海道から東北、北陸、中国地方の日本海側で独自に発達した食文化ですが、その多くが時代の流れとともに衰退の一途をたどった中で、北海道だけは頭囲にその文化を守り続けながら、「糀」を活用して発酵させるという独自の進化を遂げ、庶民に定着して行きました。
そして現代でも、その文化は定着し、広く庶民の間でも親しまれている特異な地域が、北海道であることは間違いありません。

なぜ飯寿司と呼ぶの?

魚を「いお」と呼ぶ地域もあることから、「いおずし」が「いずし」に変化したという説が有力です。

日本各地のいずし

現代の「握り寿司」の原型・・・・、それが「飯寿し」(いずし)とお伝えしましたが、では日本各地で今も親しまれているいずし、さらに海外のすしをご紹介しましょう!

北海道

いずしが現代でも広く定着し、家族団らんなどの一般家庭の食卓にのぼる特異な地域が北海道であることは前述しました。
その北海道で代表的ないずしは、鮭類のいずしのほか、ホッケやニシン、ハタハタ、サンマなどその種類は多岐に亘っています。我が、中井英策商店でもこれらのスタンダードのいずしの他、ホタテやマッカワ鰈、そして看板商品「キンキいずし」など。それらいずしを製造し生業としているメーカーも道南は函館から小樽、帯広、釧路、オホーツク海沿岸、稚内まで広く道内一円、10社以上を数えるいずしのメッカとも言えるでしょう。

紅鮭の飯寿司

サンマの飯寿司

青森 鮭飯寿司

青森県

北海道から津軽海峡を隔てる本州に渡ると、青森県もいずし文化が根強く定着している地域です。特に弘前市を中心とする津軽地方では、古くから鮭のいずしが盛んで、ほぼ北海道と同じ漬け込み方の一方、太平洋岸の八戸市では、ニシンずし(ニシン漬け)が知られ、石川県のカブラ寿司と同様の、飯と糀を漬け床にする独特の製法が特徴と言れています。

秋田県

秋田県は、今でも有名な「ハタハタずし」で知られる、いずしの本場で、秋田県の道の駅やお土産品店などでは年中、観光客などでも気軽に購入できる地元のお土産品として定着しています。

山形県

秋田県の南隣、山形県では日本海側の酒田市に「粥ずし」と言うものがあり、あらかじめ発酵させておいた飯と糀に、鮭やカズノコ、アオマメ、昆布などを混ぜて発酵させるもので、地方のお正月科理として根付いています。他にも、山形県県北地域は「アユずし」が親しまれてきたそうですが、今は衰退しているそうです。

新潟県

北陸地方に入り、新潟県の県北地域もいずしは盛んに行られてきた歴史があります。特に大河信濃川の鮭を使ったいずしは古くから親しまれ、現代でも定着しているほか、新潟県中部以南では、ニシンダイコ(きっこし漬け)と呼ばれるいずしがあり、糀に身欠きニシンと大根、ニンジンなどを混ぜておよそひと月発酵熟成させる製法だそうです。

富山県

日本海沿岸を南下して、富山県に入ると、県西部の砺波地方では、カブラずしが盛んに作られています。この地域は旧加賀藩領だったこともあり、文化も加賀、石川県と共通するといいます。ただ、石川県と違うのは、カブに挟む魚がサバが多いことで、地元では「サバずし」とも呼ばれています。

石川県

その石川県と言えば、「カブラずし」は、地元を代表する特産品として、現代でも有名ないずしと言えるでしょう。その特徴は、輪切りにしたカブにブリの切り身が挟んであることです。また、地元で知られるもう一つに「ダイコンずし」があります。こちらは、大根にニシンの切り身を挟んだもので、高価なカブラずしに相対して安価で庶民的なダイコンずしと言うイメージで根付いているそうです。両者ともに、北海道や秋田のハタハタずしなどにみられる製法とは大きく異なり、飯と糀を先に発酵させ、ブリやニシンを挟み込むという特徴を持っています。

福井県

福井県に入ると、ニシンと大根を使ったいずしが主流となっていきます。石川県とは異なり、北海道・秋田方式の細切りや平切りにした大根やニンジンを切った身きニシンと混ぜ合わせて漬け込み発酵させる方式です。また、同県の敦賀市では、晩夏に作るニシンずしというのがあるそうで、用いる野菜がナスという点でユニークないずしと言えそうです。

岐阜県

さて、日本海を離れ岐阜県にも、いずしの文化が残っているそうで、北隣の北陸からの影響がその背景と言われています。特に県北部は富山県との交流も深いことから、ニシンのいずしや、大根やニンジンと紅マスを使った「ねずし」が根付いているそうで、サバやサンマなどもこれに使用するそうです。また、生臭さが嫌う家庭では、魚の代わりに油揚げを漬けることもあったそうで、山岳地帯、飛騨地方の人々にとって、お正月に欠かせないものだったそうです。

海外のいずし

次に、日本国内を飛び出し、海外に目を向けてみましょう。

東南アジア諸国

タイでは「プラーソム」、ラオスは「ソンパ」、カンボジアは「プオーク」、ミャンマーは「ンガチン」などと呼び名は違いますが、面白いのはいずれも現地語で「酸っぱい魚」と言う意味を持っています。原料となる魚は、鯉やナマズなど。おろした魚の切り身を米に混ぜて、空気中の雑菌だけで自然発酵させて作るそうです。

韓国

またお隣の韓国では、「シッケ」と言い、スケソウダラの切り身を使い、麦芽を使ってコメを混ぜて発酵させさらに、韓国らしく唐辛子を大量に入れて真っ赤ないずしが親しまれています。
さらに中国や台湾の山岳地帯では、現地の魚の他に、豚やイノシシ、鳥などの肉を米や栗、米粉、塩などでカメに漬け込んで馴れずしを作る文化が残っているそうで、これまで紹介してきた「いずし」とは、その製法などは異なりますが、すしという発酵食品が東南アジアを中心に広く浸透し、定着していたことが伺えます。

(参考資料として引用:「すしの歴史を訪ねる」「すしの事典」「すしのひみつ」「誰もしらなかったすしの世界」(日比野光敏氏著)、「すしの本」(篠田統氏著)

いずし文化が、今も愛される特異な北海道

北国北海道では、今でもこの「いずし」が広く庶民に定着し、秋から冬にかけては父かせない食文化となっていることは、寿司研究者の間でも「特異なケース」として捉えられているそうです。
では、何故、北海道でこのいずしが、定着し根付いているのでしょうか?

現代の寿司研究の第一人者、日比野光敏先生の説では、
「日本に伝来した馴れずしが、野菜や糀などを使って短期間で発酵させる、いずしに進化して北海道に伝えられたのが15世紀くらいと見ています。北海道に開拓で入植した和人(日本人)が、稲作と同時に持ち込んだ当時では最新の流行食だった可能性がある。本州に比べて歴史の浅い北海道では、最新の食文化として現代まで流行し、根付いてきたのではないか」
と分析しています。

つまり、古来からの伝統的な食文化だと思っていた「いずし」ですが、実は北海道では歴史がまだ浅い、まだまだ発展途上、流行途上の食文化だったというのです。
その証拠に、本州などの他の地域の多くのいずしは、2,000年以上の歴史の中で衰退してしまっているケースが殆どですが、北海道内でのいずしはまだ「発展途上」ということになります。
まだまだ、これからも愛して欲しい、親しまれるべき食文化だということですね。

でも・・・、残念な事態が起きています

そんな、愛すべき「いずし」ですが、その「本場」でもある北海道では、若い世代のいずし離れが深刻です。
当社、中井英策商店が4年前に実施した当社顧客のアンケート調査では、当社顧客の年齢が50歳代以上が全体の87%を占めた一方で、20代以下は僅か1.7%となり、完全に中高齢者が圧倒的と言う結果になりました。
さらに、一昨年北海道のテレビ局が放送した番組の中で、いずしのミニ特集を放送され、その中で行われた札幌市内での街頭インタビューで、20歳前後の若い男女へ「いずしって知ってますか?」の質問に、「知らない」「知ってるけど食べたことがない」「おじいちゃん、おばあちゃんが食べていた記憶があるだけ」「お年寄りが食べるものでしょ!?」などと言う回答が多く聞かれました。
大変ショックでした!!
いずしが根付いているはずの、ここ北海道でこれが実態のなのか?と愕然としました。
当社でも、同じようなことが起きています。
当社の「キンキいずし」が大好きで、定期的にお電話でご注文を頂いているお客様からのご注文がしばらく無いことに気が付いた私が、「お声も聴きたい」と心配で電話をすると、お嬢様らしき方が出られ「お爺ちゃんは亡くなってしまったんです。中井さんにはお世話になりました、有難うございました」とご挨拶され、その後には「いつも頂いているご案内ですが、食べる人が居なくなったので、送らないで結構です」のお話を頂くことが多くなりました。
その会話だけで、残念ながら、いずしを食べる食文化が継承されていない現実を痛感しています。

いずし食文化を若い世代に、全国各地に広げたい

この現実を目の当たりにし、当社では当社の長年の生業であることもさることながら、まずはこの北海道、北国が育み大切に先達が育ててきた、いずしと言う食文化を守り伝えていかなくてはならない!!そんな責任感にも似た思いがこみ上げて来ました。
前述の寿司研究第一人者の、日比野先生も「いずし食文化が唯一残っている特異な北海道の食文化を見直し、大切にして欲しい。馴れずし、いずしという発酵食品は、守るべき固有の文化です」と仰っております。
同時に日比野先生は、「その為には、別に難しいことを考えなくてもいい。いずしや寿司などを食べる決まりやルールなんてものは存在しない。自由な発想で、その時代にあった楽しみ方で楽しむ、それが大切です」と力説しています。
このサイトをご覧頂いた皆様に、是非この「いずし」を知って頂くきっかけになって欲しいと心から願います。
そして出来るなら、いずしと言う誇るべき発酵食品が、日本全国、広く世界にも知られるきっかけになることを願ってやみません。